2017年~この4年間であったこと④

高校には進級の壁があります。 再登校してから二週間たったあたりに担任の先生に個人面談をしていただきました

高2になってからの欠席日数はのべ二か月ほど。科目によっては欠課二か月半くらいで取得単位が足りなくなるものも出てきます。また進級するには、出席だけでなく、定期考査の点数や日々の課題など、進級のための評価にかかわるものも必要です。そのあたりを本人に説明して頂いたようです。

各教科の先生がオスカーが欠席した分を考慮してだす課題、定期考査の目標点数7割とか、かなり厳しい進級条件を聞いてどうなるかなと思いましたが、ここは案外とすんなり受け入れたようでした。厳しいながらも「まだなんとかなりそうだ」と思えたのかもしれません。

そのあたりからは登校も落ち着いてきました。

生活は、夜更かししたり、夜中にコンビニに行ってみたり、入浴したりなど、決してきちんとはしていなけれど許容範囲の生活をしていました。近道なんだけど、集合住宅の敷地内の結構高い柵をわざわざ乗り越えて通学するのは、私は嫌だったですけれど。。。。

家ではよく学校や生活上の愚痴を私に話してきました。オスカーにだけではなく、学校では先生方から「志望校や目標を持つように」せっつかれて、「そのためには今頑張らないと間に合わないんだ」といった話をされるそうで、「自分が遠ざけている部分を無理やりこじあけてあれこれ言われるから嫌だ」といった話をしていました。

高校に入ってからすぐのころからずっと「将来何もしたいかなんてわからない」とよく言ってました。なのでここまでなにも考えなかったわけでもないでしょうが、といって私にはどうすることもできないので、ただ話を聞いてやるだけでした。

そして二学期の期末テスト。 とらなければいけないと言われた点数の目安が高くてどうなのかなと思っていましたが、始まる前は「範囲があるからいけそうかも」などど言っていたのですが、案の定・・・テストの中日で朝、動かなくなりました。

父親に「今できることをやれ」などと冷静に話してもらいましたが、一日欠席。

それでひとつ単位が難しくなりました。担任の先生からの話ではもう一日休んでしまうともう一科目落としてしまうとのことで、崖っぷちに追い込まれてしまいました。

欠席した日にもう一度父親から「今、首の皮一枚でつながってること、学校に残りたかったら今日やれることをやるしかないこと。それでも行かないのだったらそれはそれで任せる。その場合は、この先どうするかまた自分で考えてもらうことになる。」といった内容の話をしました。

-クリアすべき目の前の壁が高すぎてとてもできそうにもないから嫌になる-の繰り返しです。どちらにいっても苦しかったり、不安がつきまとったりすることには終わりがないわけですから、本人はさぞ悩んだことでしょう。

親のほうも、学校をやめたらどうなるのかなという不安と、もし辞めても違う道を行くというなら見守っていこうという気持ちが交錯して複雑な心境でいました。

そして翌日・・・朝、学校へ出かけていきました。

何とか首の皮一枚でつながったのでした。

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2017年~この4年間であったこと③

この4年間であったことを思い出すために当時の相談メールを読み返すのですが、
これは本当に自分が相談したメール?と思うことがしばしば。

おおよそのことは覚えているつもりだったのですが、こんなことしたり、言ったりしてたんだ、よくやれたよなーと、まるでよそ様でのお話をみているような不思議な気持ちになります。

かなり辛くて、あまり深く思いつめないようにしよう、平常心を保とうとするあまり、嫌なことは忘れようとする機能が余計に働いていたのかもしれません。

本題に戻りますが・・・・修学旅行をきっかけにとりあえず学校へ戻ったオスカー。とはいえ、急に学校生活が楽しくなるはずもなく。。。


以降も日々の気分の浮き沈みがあり、不安定な感じでした。暴れるとか反抗的だとか、家族に迷惑になるようなことはなかったですが、本人がどうにも不安定。
二学期の間は週に1回、怪しくなる日がありました。

旅行明けの再登校初日からして「宿題ができてないからと休ませてくれ」と休み。あとは週に1回、体調不良やら、「おもんない」から「今日は無理」やら。

放課後はハイテンションで学校やそのほかの話をすることもあれば、うってかわってだんまりで部屋にこもってしまうこともあり。

このころのオスカーの気持ち、彼自身に説明してもらったわけではないですが、不登校になる以前から、「学校のすべてがつまらない、授業中ぼーっとしてしまう」などと折に触れ、話していたことがあります。

高2のころには、学校が求めるだけの勉強をしてこなかったために当然成績はどんどん振るわなくなっていってました。

「授業中にあてられて変な答えを言ったりして、みんなに笑われたりするキャラになってるん(笑)」と私に話したことがあります。そのときは私は心の中で(そういうキャラ設定でやっていくことにしたんだな、それならそれで楽しくやればいいわねー)と気楽に受け取っていました。

N先生からは以下のようなご指摘がありました。

~今までは順当に来たが、高校では勉強が思うようにならず、今のキャラも本当は納得いってなくて、嫌になるのが高じたから、休んじゃえとなったのでは。

かろうじて友達関係で何とか持っている感じ。高校がこんなに進学校でなければ問題なかったかもしれない。

とはいえ、本人にはまだ学校に気持ちがある気もする。が、進学校の学習進度についていけず、取り返すほどの勉強もできないって感じだから、不安定さはまだまだ続くだろう。

ギリギリ進級して、来年(高3)で受験となったときにいざどう考えるかってことになりそう。高校生は急にやる気が出ることもある。でもやらないかもしれない。それはそのときにならないとわからない。

親のできることは、その時々の様子をみて対応していくしかない。
最終的に本人がどういうことを言うかによる。


それはまだ先のことになるだろうし、その時に考えることになる。~


そして、N先生のその言葉通りの日々が続いていくのです。

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2017年~この4年間であったこと②

三週間ほど待って、オスカーの考えを聞く日が来ました。
学校に戻るのか、そうでない道を選ぶのか、本人の意思を確認することが目的です。

子供が自分で考えて選びとることが大事なことだと今まで学んできたわけですから、わかってはいましたが、正直な気持ちは「今の学校を卒業してほしい」。

父親と私とオスカー三人で食卓を囲んで、父親が話をきりだしましたが、彼は難しい顔をしてだんまりをきめこんでいました。二、三時間くらい重苦しい時間が流れた後、ようやく絞り出すように「学校に行く」と言いました。表情は決して晴れやかなものではなく、苦痛でしかないといったように受け取れるものでした。

話はそこで終わりました。いつから行くのかはっきりしないまま、すぐ二学期の中間試験が始まりました。しかし登校はせず、試験は受けられませんでした。いきなりの試験はやはりハードルが高すぎたのかもしれません。

結局どうなったか…幸いなことにそのあとの修学旅行を足ががりとして再登校がかなうことになったのです。

この間、担任の先生や友達が家に来てくれました。
担任の先生はフットワークが軽く、このような状況に理解のある方で、こちらがお願いする家庭訪問や電話での声かけにもこころよく応じて下さいました。
こちらから頼む前に、先生のご判断で、修学旅行の準備の話のためにタイムリーに訪問して下さったりして、とても有り難たかったです。

放課後には友達もたくさん訪ねてくれ、オスカーが玄関先で話をしていたようです。

課題が多く、勉強には厳しい学校ですが、友達や先生などの環境には問題は見当たらないのです。
それは前回の不登校の小学校のときと同じ。厳しかろうが何だろうが、他の生徒はみな毎日通っているのです。不登校はオスカー自身の問題なのです。

この一月ほど構わないままだった身なりも整え、友達に付き合ってもらって何とか修学旅行の買い物をし、一週間の旅に出かけて行きました。

たった一月ほどのことなのに。とてもとても長く感じました。またもや部屋にこもるオスカーのあの何とも言えない表情をした顔をみることになるなんて・・・。

これがドラマなら再登校できたでいい感じで終わるのでしょうが、まあそんなわけもなく、ここからオスカーの考えが固まるまでにはまだまだ時間が必要となるのです。

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2017年~この4年間であったこと①

前回の2013年から…気づけば2017年。
随分、放りっぱなしで申し訳ありませんでした。
コメント下さっていた皆様にもお詫びいたします。

2017年現在
オスカーは昨年高校を卒業し、一年間の予備校生活を経て
今春、大学進学が決まりました。

子供の進学や就職、子供にとっての試練も親は静かに見守って達成したら家庭の中でささやかに喜びあう~そんなふうなものと想像してきましたが、その通りにはいきませんでした。

2013年(高校1年)当時のもう大丈夫だろうという楽観的な予想は見事にくつがえされ、今日までの道のりはとてもしんどいものになりました。


「無気力症候群ではないかと思います」
再び相談することになったN先生から教えて頂いた、そのときのオスカーの状態です。

高校2年になり、学校の勉強が厳しさを増し、その雰囲気に
馴染めなかったのか、何なのか…徐々に欠席やさぼりがふえ始めました。とうとう二学期初日に「今日から学校に行かない」と私に宣言して、人生二回目の不登校になってしまいました。その日から昼夜逆転、1日中自室の布団の上で生活する状態になりました。

「なぜ?どうして?」
「またあの復学のあれやこれやを繰り返すのか。もう無理だ!」
すべてを投げ出したい、情けない…半狂乱の私。

学校へ戻るのか、別の道をいくことになるのか、いずれにせよ高校生には期限があります。義務教育ではないため、欠席日数や取得単位数により留年、下手すれば退学になってしまうのです。

メチャクチャ焦りました。担任の話では留年したら(いきづらくなるのでしょう)結局は退学につながる例がほとんどとのことでしたから。とにかく本人が何も考えないままにただ時がすぎて留年や退学になることだけは避けたいと思いました。

N先生のアドバイスに沿って、「これからどうするつもりか、よく考えて九月末に答えを聞かせろ」とオスカーに伝えてしばらく時間をおく間、不安にかられる日々でした

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家庭教育って

ぶにん先生のブログで家庭教育に関するアンケートを募集していたので、私なりに答えてみました。

アンケートの中に次の質問がありました。

お子さんが5歳の時にタイムスリップしたとしたら過去のあなたにどのような家庭教育のアドバイスをしますか?

コメント欄にはこの質問に対して、たくさんの方が心のこもった言葉を並べられていました。

そのときに、いつも心の片隅にある思いがふとわいてきて・・・。

もし私が10年前に戻ったとき、この心のこもった言葉の数々を聴いたとして、果たしてこの大切さが心の底から理解できたのだろうか?と。

私自身、質問の回答をしておきながら、その自信はありません。私は不登校になるずっと以前から息子の子育てに悩んでいました。でも矛盾するようですが、一方で当時の私には自慢の息子でもあり、私自身も良い母をしていると思っていたので、自分の子育ての間違いを認め、改善することが受け入れられるような状況ではなかったと思います。
残念ながら、不登校になって初めて状況を打開しなければと必死になったことで、今の息子や私があるように思います。

今も不登校の問題にはいたらずとも、たとえば思春期でお子さんとの関係に悩んでいる、比較的子育てに熱心なお母さん方は私の周りにも珍しくはありません。ですが、その子育てに熱心な方々であっても、それを改善して子供とわかりあいたいと本当に思っているかどうかについては甚だ疑問があります。

ぶつかりあってさんざんだった話をたくさん聞いても、結局最後は「子供が反抗期だからしょうがない」の一言でまとめられてしまってるような気がします。あるいは、親御さんの心の中で「子供によって性格が違う。うちの子は違うんだ」とうちの子には対応不可能とはなから決定されています。
つまりは子の反抗的な態度について「子供(性格ふくめ)に原因があり、自分は親としての役目を果たしているだけで悪くない」という親側の論理と「親とはみな口うるさいものだ」という固定観念があるように感じます。

悩みがある母親同士でそのような結論をもった上で愚痴りあって日々をすごしているというのも現状の一つです。10年前の私はその一員でした。変えたいのか、変えたくないのか・・・。結局は個人的な問題なのでどうしようが個人の自由なのですけれど。

子供のことで悩んではいても、他にも同じような人がいるとか、そういうものなんだと思っている場合には、せっかくのよい意見も心にはひびかないし、仮に取り入れても中途半端に終わり、効果がないというようなことになってしまうように思います。

また特別に家庭教育とは何ぞや?と考える必要もなく、問題なく子育てをされている方も大勢おられますから、こんなに子育てに翻弄され、とらわれてきた自分って一体なんだったのだろうか、どうして私は普通に暮らして普通の親になれなかったのだろうかといまだに思うこともあります。

要するに不登校児の親の経験者として回答をしたものの、それが誰かのお役にたつのかどうかは怪しいものだ(言った本人が昔の自分には届かないかもしれないと思っている)と懐疑的な自分もいるということ。

だからこそ、先生方の地道な活動が、家庭教育を学ぶ機会や教えてくれる人がいることを世の親御さんに知らしめ、それを欲して、学んでみようとする流れのようなものを起こそうとしている、すでに起こっているということなのでしょう。私たちの思いをすいあげて、先生方が公の場で発信してくださることで、耳を傾け、役立ててくれる方々が増えるのかも。

そう考えると、先生方の日々の活動に頭がさがります。

子育ての問題は根が深いと思います。母親になったらほとんどの人はみんな一生懸命、子供のためにと努力しています。努力しているからこそ、その方向違いを認めることは自分の根幹を揺らがせるような大問題になってしまいます。

先生のような力のない私には傾聴するくらいしかないかな。

悩む人の話をひたすら傾聴することでなにがしかの助けになるのか。。。。

とはいえ、傾聴は難しい。根気がいることです。

子育てのことにとどまらず、私自身の親の悩みや愚痴に対しても、どう対処したらいいのか・・・つい何か言いたくなったり、言うことを受け入れてほしいと思う自分がいて、徹しきれない迷いの日々です。

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もう二学期?!

タイトルのとおり、この前入学したと思ったらもう夏休みは終わり、二学期だって。

オスカーはよく遊び、ちょっと学ぶ生活。

根っこはそんなに大胆な性格ではないので、大きくはずせはしないけど、格好つけたいお年頃か、眉毛を整え、頭髪は上の方をワックスでたて、制服はちょい着崩し、見た目若干いきがった感じに仕上がってます。

常にスマホを持ち歩き、いくつかのラインのグループがあるようで、いつも話してるみたい。疲れないのかなって思いますが。ひまがあればゲーム(パズドラとか)、ネットをみてはどうでもいい情報ばっかり仕入れている。使い過ぎでスマホの表面温度が上昇し、激熱になってる・・・・いつか爆発するんじゃないかしら。

そういうことで、勉強のほうは低迷し、どうなっているんだか、もうわかりません。
進路を決める時期になって困らないければいいんだけど・・・。

オスカーの学校はとても勉強に力を入れているので、夏休みも前後に全員対象の補習授業があり、八月終わりに二学期が始業したりして、実質休みは三週間ほどしかありませんでした。

文化祭も体育祭もすでにもう終わってて・・・後の楽しみはなんだ??って感じ。

大学に行くって大変なことなんだーと。。ああ~そんな他人事のように言ってちゃいけないんだった。前に進学費用のお話もあり、現実に親も大変なんだから。

それでも、一生懸命部活にうちこんだりするような高校生とは違って、オスカーは自分の力の8割くらいをだしてほどほどに生きたいということらしい。それならそれで、自分の思う「ほどほど」をやってみたらいいかなって思います。

でもほどほどにやってて満足できるなんてこと、あまりないんじゃないかなあ~と無駄に年を重ねた私は実感してますが。

なんだか親子でめっちゃ焦ってそうな未来が想像できる。

今は、生活の細かいところで、自分の出来ることはほぼ自分でやってもらうように気をつけてるくらい。面倒くさがりなのはいつまでも治らないみたいだけど、数年後には家を出ることを考えると、彼のためになればという、小さな親ごころのつもりです。

最近では体育祭の応援団の長い鉢巻、自分で縫ってました。できあがって使ったら、縫い目が荒かったのか、合わせが悪かったのか、演技中にバラバラになったと・・・・縫い直ししてました。

家庭科の宿題をかねて、料理も何度か作ってもらいました。

私が仕事に出るときは、家事の手伝いも頼んでいます。これは弟のほうが断然役に立つんですけどね。

微々たることだけど、何かの折に役立つといいな。

どんな大人になるのか、楽しみなような怖いような。
私自身、ちょっと子供に対して手を抜きすぎているような気もするけれど、いいのかどうかわからないまま、日々は過ぎていくみたいです。

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「それは俺のわがままだから」

毎日暑いですね。外へ出ると干上がってしまいそうです。

夏休みも目前となりました。オスカーの高校生活、勉強?部活???・・・一体何に忙しいのかわかりませんが、毎日疲れるそうです。家では相変わらず、きわめて床に近いところで生活しています。

先日のお休みの日、私は夕方帰りが遅くなって、家で待っていた子供たちに外食を提案してみたら、「面倒くさいけどーまあ近くならいいけど~」って返事だったので、本屋かどこかに出かけていた主人にも連絡して帰ってきてもらうことに・・・。

「お父さんが帰るまでに出る準備しておいてよ~」

「ウイーっす」

部屋でごそごそ着替え。

「あーオレ服ないわ~」

「ごめーん、オスカーの今年の夏ものは買ってないわーもう趣味もわからんしと思って」

「うーん、なんか上にはおるものがないなー」

「近くなんやから、そのTシャツでもええやん。ジャージでも許すけど?」

「・・・いや・・・・オレやっぱ、家におってもええかな?」

「え?でもおなかすいてるんちゃうの?結構待たせたしね。」

「いやまあ、空いてるけど、まだ待てる。それにラーメンとかでいいし」

「そおう?そんなんで、ええの?」

「ええんよ。なんか誰かに会いそうで・・・」

「ああ、近くやから、学校の子が来てそうなんやね」

「うん、まあ、おらんかもしれんけど、なんか(家族で外食って)恥ずいし」

「そっかー、じゃあ私とお父さんは行かせてもらって、帰りになんか買ってくるのでいい?」

「それでええよー。」

「ごはん作るのさぼって悪いねー。」

「いやいや、れは俺のわがままやから。遠慮なく行ってきて。俺も(夏の)服買えたら一緒に行くわ(笑)」

「わかった(笑)、じゃあ行かせてもらうわねー」


ということで、主人と二人近くのお店でおいしく食べて、子供には帰りに買ったラーメンなどとありあわせのもので食べてもらいました。

母親が夕食作りをさぼったという締まらない話なんですけど、私だけは一人嬉しがってました。「それは俺のわがままやから」ってなんか大人みたいなこと言っちゃってーと。

オスカーが夕食のメニューやら外食に出かけること一つとっても、いちいちすごい我儘を言っていた日々を思い出す度に、こんな会話ができることが私の気持ちを温かいもので満たしてくれます。

同じ子が、育ち方一つで、すごい我儘にもなるし、こんな風に相手を嫌な気持ちにさせずに自分の気持ちを伝えられるようにもなれる。

すごいことだと思います。人間はどんどん変われるっていう精巧な生き物であることがとても興味深いことに感じます。

毎日の生活の中の子供達のちょっとした言動が今の私の活力になってます。もう少しの間、私を楽しませてねー。

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高校生活

オスカーの高校生活も早二か月がすぎました。
時のたつのは本当に早くて、怖いくらいです。

高校生活は知っている子と偶然同じクラスになったこともあり、その点ではすんなりスタートしたようです。ただし、その中身は・・・バカやってばっかりで楽しかった中学生活とはうってかわって、大学受験を目指しての志の高い同級生に囲まれて、先生からも勉強勉強と言われ、少々うんざりした気分も味わっているよう。

まあそれは入る前からある程度はわかっていたこと。そんなもんだと彼なりに折り合いをつけ、順応していってはいるようです。

毎日のようにいろんな小テストがあるらしいのですが、一度白紙で出したら、担任の呼び出しをくらい、先生にも生徒にも貴重な昼休みに有難いお話を聞く羽目になったそうで。

「いやーまいったわーちょっとだるくて書くのが面倒になったから白紙で出しただけなのに、どうしたんだとかいやに心配されて、こんなふうに勉強していこうとかアドバイスされたり、昼休み中ずっと熱ーく語られたんよー。」

「えーっ。また白紙ってちょっと面倒なことしたもんだねー。学校の先生やったらそういうのって何かあったかって心配するもんじゃない?。何も理由ないんなら心配かけないようにしたほうがいいよ。」

「何もないに決まってるし~。マジめんどかっただけやし。でもまあ○○先生はいい先生やわ」

「そうやね。いい先生やと思うよ。忙しいのに一人のために時間さいてくれて。有難いことやわ」

「ほんま、ほんま」


うーっ、なんか軽いし・・・わかってるんかなー。

こんな調子で勉強はちゃんとやっているのかどうかも分からず、部活も一応入っているけれど、よく休みだし、練習してるのかどうかすら・・・。

何よりもスマホ!これはホントにいかーん!。寝る時も食事時も片時も離さずにラインだよ、全く。(食事時はさすがにお父さんに怒られてました)

みんなそんなに暇なんかー!っと言いたくなるくらいチロリン、ピロリン鳴ってるけど、言ったところでどうにもならないので黙ってみてます。

ひと月ほど前、オスカーがしみじみ「高校生って(勉強)大変だけど、自由やわー。この自由は手放せんなあ」って言ってたなあ。

こっちは「高校生って何してるかもうわからんわー」って言いたいよ。

まあでもそれが健全な高校生なのかもしれません。

学校は遅刻なし・欠席なし。行かせてくれと言ってきたので通わせている塾も皆勤。
夜まで遊びに出ていることもあるけれど、一応いまのところは、おおよその門限は守っていて、何かあればラインで連絡をくれます。

日常生活上あまりにもひどい?と思ってみかねて言う苦言も一応神妙に聞いている。

総じてみれば、まあよしということなのかな。


先輩たちの話を聞くとこれからはもっと勉強・勉強って追い立てられるみたいだけど、成績どんどん下がっても(もう下がってる?)くさらずに、彼なりの学校生活を送ってくれたらと願っています。

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さくら咲く

昨日、公立高校の合格発表がありました。

オスカーは無事、合格することができました

出先でオスカーからメールをもらい、意外とほっとしている自分がいました。

家に帰ってから合格して素直に喜んでしゃべっている姿をみると、子供のこととは思って
少し心の距離をおいてはいたけれど、親の私もやっぱりしみじみとした喜びを感じました。

この頃は自分の入試の点数を教えてもらえるそうで、結果を聞くとなかなかよく頑張った
んじゃないかなと思いました。本人も「あんなに緊張せんでもよかったんやー俺」と、大いに
ほっとして、ちょっぴり自信をつけたようです。

これで中学校生活は本当の締めくくりとなりました。


お疲れ様。結構よくやってたよ、オスカー。

4月からはますます自分の足で歩いて行かなければいけませんが、お母さんから

できるアドバイスはもうほとんどないと思います。でもいつも後ろで見守っています

ので、いろいろな困難に負けずに楽しい高校生活を送ってほしいと願っています。

おめでとう

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春はもうすぐ

今年は寒い冬になりましたね。雨のたびに少しずつ暖かくなるかなーと期待する毎日です。

オスカーは素晴らしくマイペースな生活を送っています。夕食後はたいていこたつで寝てしまい、夜中にごそごそって感じです。あれでよく風邪ひかないなって思います。

学校生活は徐々に卒業モードにむかっているようです。卒業文集をつくったり、卒業式の歌の練習したり。クラスメートとはなんだかんだ毎日笑いあって楽しく過ごしている様子。男女仲良く、ほのぼのしたクラスのようです。

2週間後には本命の公立高校入試、彼の人生では初の大イベントがやってきます。

1月に私立の受験もしたのですが、面接で青ざめるほどに緊張したそうで、同級生やお世話係の女子高校生が大丈夫?と心配するくらいだったとか。三つ子の魂~でいざ本番となると緊張ぐせが顔を出すようです。

学校でのテストのたびに「数学の神が降りてこなかった~」とかなんとか、問題ができなかった言い訳をしていて、オスカーの神様?はなんとも頼りない。

高校受験ってこんなものだったかな?自分のウン十年前のことなんてもう忘れていますね。オスカーは家では勉強する姿は全くと言っていいほどみないのですが、きっと学校と塾で頑張っているんだろうといいように解釈しています。

私はといえば、当日の体調など心配は全くしないってことはないけれど、親がいくらそばで心配しても何の助けにもならず、どうしようもないんだなというのが実感です。

ここまでの彼の頑張りが十分なのかどうかすら把握していませんが、足りているかどうかは本人がいちばんわかっているはずなので、どうしてもその学校へ行きたければ自分で何とかするだろうという気持ちでいます。

当事者のオスカーは当然緊張して不安もあるとは思いますけど、私自身は自分が穏やかな気持ちでここまで受験生の息子を見守ることができたことをとてもありがたく思っています。

昔話になりますが、オスカーが不登校になる前の小1のころ、運動会でリレーの選手に選ばれたことがありました。そのときに、転ばないか、バトンを落とさないか、失敗してみんなの足をひっぱらないかと心臓が飛び出しそうになるほど心配して、本番がまともに見られないほどパニクってました。オスカーが失敗して泣いたり、がっかりする姿を見ると、自分のこと以上に嫌な気持ちになるので、絶対に失敗させたくなかったんです。

それをときどき思い出しては、そんな自分がすごく滑稽だったなと。子供を思う気持ち自体は間違いではないけれど、気持ちを向ける方向が違ってたかな。

今の私の心は、高校受験はオスカーにとってはリレーなんかよりもずっと大きな試練だけど、きっとうまく乗り越えるに違いないという子供への信頼感で満ちています。

それもこれもお世話になったエンカレッジの先生方はもちろん、同じ思いで子供の成長をみまもってきたネットの向こうのみなさんのおかげだなって思います。

私は幸せだなとつくづく思います。

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