ある講演を聴いて
昨日は人権をテーマにした授業参観でした。その後、保護者向けに講演会がありました。
講演された佐藤先生は同じ市内にお住まいで、筋ジストロフィーを発症された息子さんが旅立つまでの17年間、お子さんに寄り添われ続けたお父様でした。その息子さんは私と同じうまれ年ですから、先生はちょうど私の父くらいの世代でしょうか。
本でもテレビでも、いろんな難しい病気と闘っておられる方々のお話を見聞きすることはありましたが、希望にあふれているはずの子どもの人生に困難が待ちうけ、しかもその命に限りがあるとはなんと残酷な事か、すぐご近所に住んでいる誰かのお父さんような先生の口から語られると、何かこれまでになくとても身近なことに感じられました。
ご両親は息子さんにこの家にうまれてよかったと思ってもらえるよう、つきそいなど最大限の努力されて日常を支えられました。息子さんは小中と公立の普通校へ休むことなく通われ、友達もたくさんでき、学校生活を心から楽しんでおられたとか。淡々と語られておられましたが、その裏にあったであろうご両親の努力が如何ほどだったかと推し量られ、頭が下がる思いでした。
何よりも、その息子さんが小学生にしてだんだんと体の自由を奪われていく現実を一人小さい胸にうけとめながら、愚痴をこぼすでなく、親を問い詰めることもなく、穏やかに最後まで明るく前向きに学校生活を楽しまれていたーという姿に、とても胸を打たれました。私の顔は涙と鼻水でもうぐしゃぐしゃでした。
病の進行は思ったよりも早く、最後に残るはずの手首の筋力もとうとう失われ、最後の瞬間がせまったと静かに悟られたときはまだ高校二年生でした。そして心臓をしぼられるような苦しみの合間に、集まった家族、お世話になった友達、先生、手を貸してくれたたくさんの人達一人一人に自分を助けてくれてうれしかった気持ちとありがとうの感謝の言葉を伝えられ、旅立たれたそうです。
果たしてどれだけの人にそんな最期を迎えることができるものでしょうか?彼は17歳にして40歳近い私をはるかに越えた大人になり、その心の中は人間として一番大事な感謝の気持ちで満たされていたということに、驚かされ、かつ人の生き様や在り方を痛烈に考えさせられました。
講演の帰りに、お母様が出されたという本を買って帰りました。
家に帰って読んでみると、さらにいろいろなエピソードやご家族のお気持ちが綴られていました。中に息子さんが中一のときに書かれた詩がありました。
もしも・・・もしも・・・
今 僕が立つことできるなら
いつもおんぶの母さんと
肩でせいくらべ してみたい
もう 僕が少し高いだろう
ぼくのほうが大きいだろう
もしも・・・もしも・・・
今 ぼくが歩くことできるなら
ザックザックと 砂浜を
風に吹かれて 歩きたい
ほら 僕の足跡つづくだろう
どこまでも つづくだろう
もしも・・・もしも・・・
今 ぼくが走ることできるなら
汗にまみれて 友達と
力いっぱい走りたい
きっと白いテープ 切るだろう
一等賞に なるだろう
もしも 今 ぼくが立つことできるなら
もしも 今 ぼくが歩くことできるなら
もしも 今 ぼくが走ることできるなら
(引用図書:「ひまわりが咲いたよ」佐藤順子著)
心の中からほとばしりでるような息子さんの気持ちがとてもとても胸に迫ってきて、どうしようもなかったです。
私はおととい息子と背比べしました。昨日は野球の練習で、息子が楽しそうにボールを追っている姿を見ました。夏には浜辺で裸足になって友達と走り回り、笑い合いました。運動会では一等賞をもらっていました・・・・・
当たり前の日常にたくさんの幸せが詰まっている事を思い出し、人の子の親として切ない気持ちが心にあふれて、いたたまれなくなりました。
過酷な困難をあたえられてもなお、子どもの願いは本当に純粋で、大人がもう見ることができない小さな夢に胸をふるわせているのだな。そしてまた、子どもはその純粋さゆえにいろんなものを一人で抱え、心を悩ませながら生きていくのだな。
改めて子どもに寄り添い、その思いを阻むことなく育てていく大切さを感じました。
この息子さんは素直で明るく前向きな方だったそうです。それは天性の部分でもあったでしょうが、困難とともに生きていく中で身につけた強さゆえだったのかもしれません。
みんながみんな同じような明るさや強さを持って大勢から認められるような生き方ができるわけではないでしょうが、少なくとも一人一人与えられた自分の命を大事にし、自分なりに想像力を働かせて人を思いやって生きることはできる気がします。
同じ体験をできずとも、目の前で話して伝えてもらうことって人の心を揺さぶるものなんですね。佐藤さんご家族の生き方から、いろいろとメッセージを頂いた気がします。人に優しい社会であること、子どもを大きな目で支え見守ること・・・私にとっては深く考えさせられる一日となりました。
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コメント
時間遅いのでまたコメントさせていただきます。
トラックバックさせていただきました。
衝撃的で考えさせられる内容でした。
本当に子どもが元気に友達と仲良くしてくれていることに感謝しないわけにはいかない、本当に考えさせられる詩でした。人とは違う感じ方をしてショックをうけてしまっていますが・・・。
ブログリンクさせていただいていいでしょうか?
投稿: 藤本 | 2009年1月30日 (金) 04時29分
藤本先生
お忙しいお時間を割いてここにきてくださった事、大変うれしく有難いことと思います。
また早速のトラックバックありがとうございました。一介の母親でしかない私ですら、この中学一年生の子どもの思いが胸につきささり、心乱されるような気持ちになりました。
先生にも多大なショックを与えてしまうとは・・・この詩には本当に大きな力があると思います。
先生のブログの方にまたコメント寄せさせていただきます。少し考えをまとめないといけないですが。。。。
ブログのリンクはこちらこそ、よろしくお願いいたします。
投稿: メリーベル | 2009年1月30日 (金) 09時18分
2009年始動から、今、一気に読ませて頂きました。
息子さんの可愛くそしてしっかりした会話を読んで、久しぶりにニコニコになってしまいました^^
講演のお話し、胸にぐっときて、涙ボロボロで読みました。考えさせられますね。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本、
骨肉腫で右足を切断されたにも関わらず、全身に転移し、31才の若さでこの世を去られたお医者さんが、愛娘の飛鳥ちゃんと奥様のお腹にいた「まだ見ぬ子」へ書いた手紙なのですが、その中にある詩に、こんな一節がありました。
「こんなすばらいことを みんなは決してよろこばない そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ」
今あることは決してあたりまえではなく、実は毎日が奇跡の連続なのですよね。
感謝と喜びの気持ちで生きていかなければと思います。
投稿: メロディ | 2009年1月30日 (金) 09時42分
今、思い出しました。娘たちの出産のときを。
長女は妊娠36週の時、推定体重が少ないからと紹介された病院で検査をするうちに、重大な病気がある可能性を疑われ、特別な呼吸器を用意し実際に病気があったらすぐに手術を行うからと小児外科の医師もスタンバイして帝王切開で生まれました。
生まれてみたら何も病気はなくほっとしましたが、未熟児なのでNICUの保育器に3日間入りました。
次女はやはり未熟児でNICUに1か月入院していました。
あんなに小さかった子どもたちが今では病気と言えば、風邪や中耳炎くらいだなんて、とてもありがたいことです。
2人とも未熟児とはいえ2Kg前後で病気もなかったので、NICUの中では健康児っぽかったでしたが、周りにはいろんな子がいて...保育器、呼吸器、点滴、ミルクを入れる管...小さな体にたくさんつけられ...
ご両親も、今日はこっちの科のお医者さん、明日はあっちの科のお医者さんから説明を聞いたり...他の人と話をする人、多くを語ろうとしない人と、いろいろでした。
子どもたちは順調に発育し退院後の検診も卒業し、今は私のみ出産後の定期検診でその病院に行く時がありますが、重い病気の子どもがたくさん来ています。あの頃NICUにいた子どもたち、今はどうしているのかな...
「もしも、今、立つことができるなら」と思いながらベットにいるかもしれない、娘の最初の同級生の事を思って、今元気な姿に感謝したいと思いました。
投稿: ふらわぁ | 2009年1月30日 (金) 11時39分
すごく良い講演に参加されたんですね。色々と考えさせられる内容でした。
学校の行事に参加しない保護者が増えてきていると聞きます。
こんなすばらしい機会を逃すか自分の糧にするかも、自分次第なんですね。
日々の生活の中で与えられる機会・出会い・気づきを逃さないようにしたいです。講演を聞かれ、その思いをブログで発信されたメリーベルさんに感謝です。
投稿: ちゃろ | 2009年1月30日 (金) 20時47分
読んで涙が流れました。
偶然にも、自分のブログに娘の持病のことを書いたばかりでした。
命のありがたみ、困難の中にいるからこそ前を向いていこうと思える強さ。
我が家は幸い命拾いしましたが、こんな風な宿命を背負って生まれてこられる方もたくさんいるということを
忘れてはならないと思います。
今ある命を大切に、ありがたく毎日を過ごしていかなければと思います。
投稿: マーガレット | 2009年1月31日 (土) 00時20分
講演のお話し聞かせていただきありがとうございます。
やはりとても考えさせられますね。。。
私もよく子どもたちと背比べをします。
走り回ります。
当たり前のこの日常の幸せがどんなにありがたいことか・・・
不平不満を抱く自分が恥ずかしくもなります。
1日を大切に。今ある命を大切に。日々感謝の気持ちで過ごしていきたいなと思います。
投稿: かれん | 2009年2月 1日 (日) 15時27分
つたない私の文章で内容が伝わるか心配でしたが、今回は何だかすごく胸に迫るものがあったのでどうしても誰かに話してみたくなりました。みなさん読み取ってくださって、それぞれの想いを寄せて頂けたこと、とても嬉しく思っています。
メロディさん
ブログを一つ一つ読んでいただいてありがとうございます。
飛鳥へ・・のご本は私も昔読んだ記憶があります。今読むとまた違った感想を持つような気がします。
「こんなすばらしいことを みんなは決してよろこばない」
昔の自分はそうだったと思います。今は少しは当たり前の事をよろこべているでしょうか?
もしそうならこれからもそうあり続けたいと思いました。たくさんの人の人生の中に学ぶ事はまだまだありますね。
ふらわぁさん
貴重なお話が聞けてありがとうございます。生まれてくるだけでも大変な思いをしている方がいらっしゃるんですね。私や息子達が健康に出産&誕生の瞬間を乗り切れたことをここにまた感謝です。
一つの同じお話を聴いても、人それぞれ、感じることは様々だなあと。日常は漫然と流れていきますが、たまには立ち止まってこういうことについて誰かと話し合うのはよい刺激になり、身も心も引き締まる気がします。実際、一緒に聴きに行ったママさんといろいろ感想を話すことで得るものもありました。
娘さんのお友達、願いがかなうといいと思います。
ちゃろさん
PTA活動は実際はいろいろ面倒な事も多く、疑問に思うこともしばしばですが、今回の講演は私にとってはとてもいい機会となりました。
出会いのタイミングってある気がします。このお話はまさに私の心にどんぴしゃ来るものがありました。絶対に逃げることができない難病とうちが経験した短い不登校では比べ物にはならないですが、一貫して「息子との日々を大事にしよう」と努力されたご両親の思いが私の心を打ちました。息子さんの純粋な言葉が私の心を打ちました。
ますます我が子を含めた子ども達を大切にしていきたいと思いました。私にできることはそれくらいですから。
読んでくださって有難うございます。
マーガレットさん
来てくださって有難うございます。ブログ読ませていただきました。マーガレットさんも娘さんも大変な経験をされてここまで来られたのですね。
私には残念ながらそのご苦労を想像することしかできないですが、貴重なお話を聴かせていただいてあり難く思いました。
今は子供達も大きくなり、私の手を離れようとする年齢にそろそろさしかかります。有難い事に自分の時間も増えました。これからはいい大人として感謝の念をもって、誰かにお返しできるように生きていくことが、健康に恵まれた私のせめてもの役目かなと思います。
この世に生をうけた事、本当に有難いことですよね。
投稿: メリーベル | 2009年2月 1日 (日) 15時51分