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2009年3月の8件の記事

五年生、終わりました

一年たちました。とうとう五年生も終了~。

通信簿は・・・やっぱり出席の記録に一番に目が行きました。インフルエンザの欠席停止以外、欠席は無し。オスカーのこの一年を振り返ると体力的にも精神的にも成長が大きかったように感じます。

友達と約束したり、誘われたりして出かけていくことも随分増えました。中には「あ~面倒だな」という気乗りのしないお呼び出しもあるようですが、それもまた必要なようで、「まあまあいろいろあるんよ~」と言って出かけていきます。交友関係が広がった分、面倒事も増えたようですが、それもいいことかもしれません。もちろん、友達といることが楽しいという気持ちは根底にあると思いますけど。

野球は練習には自分で自転車に乗って行っています。もう私を頼らなくなったように思います。相変わらず野球少年!っていうようなひたむきな感じ(”バッテリー”みたいな感じ?)は全くないのですが、彼なりに楽しんでいる風です。試合には随分なれたようだけど、やっぱりまだ前日には「緊張するわ~!」って言っては漫画やテレビに逃げ込んでいます。(さすがに泣くことはなくなりました(笑))

この三月には来年度の児童会の役員に選ばれたそうです。選ばれるときは「俺、選ばれそうになってるんよ~まずいわ~面倒だ~」と困惑していましたが・・・・すでに六年生を送る会はじめ、活動を開始している様子。『堂々と司会をこなしました』と通信簿に書いて頂いてました。

今日もさっさと起きて、数日後にある先生方の離任式にむけての準備のために登校しました。へえ~みんながお休みの日でもちゃんと行けるんだ~とそんなところに感心してしまう私

学校や習い事や友達関係・・・全てが当たり前の状態に思えるようになったことに大きな喜びを感じています。彼が周りの友達とともに成長していける状態になったこと、親としてここに戻してやれたことを喜ばずにはいられません。

花冷えかな、今日も少し肌寒いけれど、窓からの春の日差しは暖かいです

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ここが肝心だな

今日はちょっと肌寒いですが、ここら辺の小学校では卒業式です。うちの二人も在校生として今参列していると思います。

さて、今日はトーマのお話。

ト「お母さん、定額給付金でたら俺にもちょっと頂戴。」
母「は?」
ト「子どもにもでるってテレビのニュースでそう言ってた」
母「ニュースを見たんや。」

トーマにも月々500円のお小遣いを渡していますが、これまではあまり買いたい物がなく、結構ためたりすることが多かったです。でもやはりそこはそのままでは問屋がおろさず・・・最近ある漫画のカード(プレート)収集にはまっています。

一パック二百円で四枚入っていて、半年ほど前からときどき買っては楽しんでいた様子。
それが今自分の友達数人の間で大流行しているらしい~。大昔のビックリマンチョコのシール(古すぎ?)みたいなもので、遊戯王みたいに遊ぶこともできない集めるだけのものなんですけど。

最初は、早くからこつこつと買っていたトーマは友達の間ではたくさん持っているほうだったので主導権(?)を握っていたようですが、最近では友達に先を越されて分が悪いよう。

この前もお小遣いを全てつぎこんで奮発して3パック買って、珍しいカードがでてよろこび勇んで見せに出かけたら、他の子は10パックや20パックを一度に買っていてもっと珍しいものを持っていたと、意気消沈して帰ってきました。

で、ここのところ毎日のように
「プレート買って~。おごって~。お母さ~ん」
何かにつけて、この台詞で、冒頭の定額給付金のお話にまで。もちろん、私の財布から特別に何かがでることはありません。

ト「どうして○太君の家はあんなにたくさん買ってもらえるん?」
母「さあねえ。」
ト「○太のお母さんも好きで、いいのがでなかったらすぐまた買えるって」
母「へえ~」
ト「俺も○太の家に生まれたらよかった~」
母「そうなんや~」
オスカー「ほんまやしな。このけちけち母さんが定額給付金もくれんとか言うし。お父さんはゲームは三個とか言うし。俺らそれのせいで話に入れんかったりして、子どもの世界も結構大変なんで。」
母「そうなんや~。まあちょっとわかる気もするわ。お母さんもそんなことあったし。」
ト「大変と言うんだったら、ちょっとくれたらいいのに。子どもの気持ちわかってないしな。」
母「気持ちはわかってるんやけど、やっぱりそうはいかんわね~」

という調子で、「耳たこ」になるくらい何度も何度も言ってました。

昨日夜

ト「もう○太と△郎は全部そろったかもしれんって。」
オ「でもさあ、カードって大量に買ってみたい気もするけど、なんかちょっとそれもつまらんことない?ちょっとしか買えんから楽しいような気もするけどな」
ト「うーん、俺もそう思うこともあるんよ~。袋を開けるときに何が出るかなっていうのがドキドキして一番楽しみなんよ。」
母「少ししか買えなくても楽しみはあるんだね」
ト「うん。少ししか買えんから、楽しいのかもな~。でもやっぱりいいのをたくさん持っているのはうらやましい~」
母「そうだね。悩ましいところやね」
ト「あー俺、動物に生まれたらよかった~」
オ「は?なんで?」
ト「だって、プレート欲しいとか悩まなくてすむから」
オ「あはははははっ、トーマらしい。」
母「なるほどね~」

大いに悩んでください、トーマ君。申し訳ないけど、最近昔のノート読んでる母としては、絶対この砦は死守したいと思っているのでね。

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荒れていた頃2

エンカレッジにはこの記事の日の数日前に初めての電話をしていました。そのときに正式なカウンセリングをうけるために資料を送っていただくことと、会話ノートを書いて添削してもらうことと電話相談をうけることを決めました。

五月半ばのある日
午前中
相変わらずオスカーの希望をわざわざ聞きとってやって、ムシキングを6回し、さらに不満げにするのをなだめるように2回追加を許す。

この後、ムシキングがエスカレートしてどうしようもないので、早速初めての電話相談をしました。ムシキングはオスカーのわがままでしかないので行かなくていい(行ってはいけない)ことと、たとえ暴れても悲しそうな顔をして黙っていることを教えて頂きました

以下の会話の赤字や青時は後日ノートを添削した先生からのご指摘。ただし指摘のない会話も全て良いわけではないと思います。この頃は問題が多すぎて全てをこちらが理解しきれない状態でもありました。

19時頃

オ「暑いなあ!」
母「暑いの」
オ「暑い!なんか冷たいものないかー!」
母「・・・・」(窓を開ける)
オ「聞いてんのか!」
母「聞こえてるよ」
オ「氷みたいなもの。冷てえもの!。かきごおりとか!!」
母「今はご飯の準備してるし。氷はデザートにしよう。今はできないわ。」
オ「えーああもう!!」
オ「えーああああああああ(奇声)」
(急に起き上がってドスドスとなりの部屋に行き、ドア代わりのふすまを殴り、壁をけり暴れ始める
オ「お母さん!!!お父さん!!!!」
(泣き喚きながら、激しくふすまのドアをけり、とうとう蹴破る

19時15分
(この後私をよびつけましたが、私がすぐに行きませんでした。)
オ「どうして来ないのか!!呼んでんのが聞こえないのか!!(泣)」
母「今、聞こえたから来たよ」
オ「なんでもっと前に来ないのか!」
母「来て欲しいと言われなかったから」→「・・・・」
オ「言った!言った!もっと前に言った!」
母「料理してたから聞こえなかったわ」→「・・・・」離れる
オ「もーう、なんでかー!!!!」
(また大暴れ。ふすまのドアがまた蹴破られる
母「・・・・・」
オ「お母さあん!!」(足ばたばた、頭を振って怒る!)
母「・・・・・」
(だんだんおさまり、ひざの上に頭をのせて甘えている。この間30分程度)
母「お母さん、今からご飯食べたりしたいの。行くよ」
オ「俺は、好きなおかずが合ったら食って、その後カキ氷食う」

母「(壊れかけたふすまを)これ直さないといけないな」
オ「う~ん俺は最低や!(怒)」
母「最低なの?」
オ「・・・最低なんだ!!」(椅子をバンバン叩く)
母「これ(ふすま)後で直すわね」
オ「えーそのままにしろ!!はずせ!!」
母「お母さんはふすまをつけときたいの」→弱い。「お母さんが決める。」
  
ここはお母さんの家よ。→OK。子どもが渋々でも承知することにつながった。
  もうこの話は後にしよう。」
「(渋々承知する)・・・・」

20時頃 ご機嫌で夕食。

夕食後もふすまつけるつけないでふてくされてみたり(ふすまはつけ直しました)・・・
就寝時間がきても眠たくないからとリビングに行ったり(許して母ついておきる)・・・
何か食べたいとごねはじめたり(これにはつきあわなかったので最後はおさまった)。。。

22時半
ようやく就寝

電話相談後の夕方からは、黙って悲しそうにすることを少し取り入れるようにしています。この頃は暴れだすとお父さんでもとめられないところまで来ていました。まだまだ余計な言葉が多いし、書いてないですがふすまを直す段には「直すね~」などと子どもの機嫌を伺うような親が弱いところもありました。

この一時間ほどの出来事でへとへとになったことを覚えています。キレて怒ってが収まるのを待つ間もとても長く感じました。でもこんな状況でも私の気持ちとしては、何を言っていいかわからない中でなだめてみたり、言い訳じみた返事をしたりするよりも、今日はずっとうまくいったような気がして、少し希望の光がみえた日でもありました。

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荒れていた頃1

メロディさんのブログを見ていて子どもにもHNつけると書きやすいかもって思っていたのを、突然ではありますが実行してみます。
息子(小5)=オスカー 次男(小3)=トーマ で。(似合わないけどご勘弁を) 

久しぶりに昔の会話ノートをみてみたんです。そしたら顔から火が出ました。と同時に、毎日必死だった頃のことも思い出しました。少しずつかいてみようかなと思い立ちました。

四年近く前。オスカー、小2の頃。

もともと家族の前ではわがままで幼児の頃から振り回されてはきましたが、乱暴はせず、友達とトラブルもなく、活発に遊ぶいい子でした。でも一年生になって何だか覇気がないと感じるように。学校の話もしないし、参観でみると気だるそうに座っていることも。二学期以降は女の子に悪口を言われるとか、ささいなことを気にして数回学校を休んだこともありました。

四月。新学期早々の二日間、行くのがいやだと泣いて欠席しました。遠足を機にその後一週間は学校へ行ったので一安心と思っていた矢先、家では思い通りに行かなければすぐにキレて、荒れるように。ビデオがどうしても今借りたい!と泣いてわめいて玄関に座りこむなど、常軌を逸したと思われる感じのキレぶり。学校での言動も徐々に乱暴になっていることを、同級生のお母さんから聞きました。

ゴールデンウイークを前にして嘔吐風邪にかかり、それが治っても朝布団からでられずに本格的に休みはじめました。したいことがあると全く我慢ができず、ちょっとしたことで機嫌をそこねて暴れました。昼ごはんのメニューがいやだと私を睨みながらソファーをひっくり返さんばかりに暴れたり、手をだすまでの兄弟ゲンカをとめたら我慢ならないと椅子を引き倒し、壁をなぐる。何をしても私に暴言をはき、暴れ、ごねる、手をだすなど一番荒れが激しい頃でした。
当時ゲームコーナーに一回100円でカードがでてくるムシキングというゲーム機が流行していて、オスカーもそれにどっぷりはまり、欲求がおさえられませんでした。

この頃はまだエンカレッジに相談を始める前でしたが、自己流でつけ始めた会話ノートがあります。この頃は何かの本を読み、子どもの全てを受け入れることこそが荒れをおさめるのに必要な事と勝手に解釈して、なんでも許していました。

この頃のある一日の会話です。
オスカーのはっきりと物が言えない様子、言っている事があまりにわがままなこと、
私が子どもの気持ちを先読みし、提案し、わがままにも言うなりになっていることにとても驚きます。

オ「あー、言われない、言いたいことあるんだけど」
母「何かな?言ってみて」
オ「あー言われない~あー・・・ムシを・・・」
母「ムシ?」
オ「ムシキング(声を出さずに口パクで)」
母「ムシキングがしたいんだね」
オ「うん」
母「していいよ。何回したいの?」
オ「怒るかもしれん。無理やろうなー」(両手のひらを出してしめす)
母「10回?」
オ「いいや・・・20回」
母「いいよ」(ショッピングセンターにムシキングを20回しにいく。二時間近くかかる。)

夕方

オ「また言えない事が~。」
母「何かな?」
オ「わかるだろ(怒)!!!ムシキング(小声)」
母「ムシキングしたいの~お母さん悲しくなってきたよ。どうしようか」
オ「えー!!!うー」(不満げ)
母「わかるでしょ。朝言ったしね。もう夕方やし、いかれへんわ~」
オ「もういい!!!!(怒)」
(ふすまに足蹴り。バンバン!ドスドス!!怒り出して部屋にこもってさらにがたがた。
母「どうしたん?」
オ「でもだめやろ!!我慢できないけどな!」
母「そうか、お母さんが我慢しろっていったから苦しい?」
オ「うん」
母「わかった。連れていくわ」
オ「うん」
(機嫌よく、ムシキングを一回して帰る)

オ「(レンタルした)ビデオは?」
母「お父さんが返したよ」
オ「えー!!!なんで、なんでかー!!お母さん、どうしてくれるんか!(怒)」
母「だめやった?今日返すって行ったからいいと思って」
オ「どうしてくれるんか(怒)!!!」
母「・・・・」
(泣いてわめいて暴れる)
(しばらく後、お父さんが帰ってもまだ怒り続ける)
母「じゃあ、お父さんとまた借りておいで。」
オ「うん」(泣きやむ)
(ご機嫌でビデオ鑑賞。)

こんな調子で毎日寝るまでの間にいろんなことでキレられて、その都度言うなりに受け入れていました。まさに振り回されるとはこのことです。私の心も体も疲弊していました。これでも自分なりに本を読んでは会話に注意しているつもりだったのがまた悲しいことです。

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喧嘩するなら・・・

今日は次男(三年生)のお友達が二人遊びに来ています。

なんやかやおしゃべりしながら、ゲームしている三人。
開けっ放しの部屋からはいろんな話がこぼれてきて聞くともなくきいていると面白い~

しばらくして~

A君 「おい!そこまで言うか!?」

B君 「何~!!お前が先に言い出したんだろうが~!」

がたがたがたがた・・・・

次男 「おい!お前ら、やめとけ。」

間に入った様子の次男。がたがた・・次男をはさんでまだもみあっている二人。

A君 「お前いい加減にしとけよ~」

B君 「なんだとォ~」

次男 「もうやめとけって!俺の家ん中で喧嘩するな!」

A君 「じゃあ、外でやれってことか?」

次男 「もうその辺にしとけって!AもBももういいやんか。な。俺はもうちょっとしたら外でも行って遊ぼうと思うけどどうする?」

A君・B君 「・・・・・わかったよ」


私は別室で息をひそめて様子をうかがってましたが、ほどなくおさまったのでほっ

AB君は普段からぶつかりあう?の仲のようでしたが、手が出たところは初めてみました。やっぱ男の子同士だわね~。

にしてもむむむ、なかなか上手く仲裁に入ったじゃないの、次男坊
さすがに喧嘩するなら外に行けっていつも言われてるだけのことはある。よくできました

こうやって子供同士、うまくやっているんだわーと一安心した母でした。

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我が敵は我にあり

今朝。

「お母さん~俺の制服のズボン知らん?」

「さあ・・・どっかでみた気もするけど、知らん。」

「洗濯機かな・・・あーあった」


鼻歌を歌いながらズボンをはく息子。
「我が敵は我にあり~」(羞恥心の何のだっけ?)

「そうそう、ようわかってるやん。洗濯機まわっとったらアウトやったしね。」

「!・・・・俺のことやんってか?(にやにや)」

「我が敵は我にあり。『僕』の周りは毎日敵だらけ?」

「・・・・・(にやにや)」

ちょっと嫌味っぽかったなー。まあこれくらいは言わせてもらってもいいでしょ。我が敵と闘って、困らないようにしてくださいね。



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朝から台風

朝。

「え~!!!なんでこんな時間なん!!」

どすどす、ばたばた、がっしゃーん・・・・

「もォう。もォう、なんでなん!なんでこんな時間なん!!(泣)くそっくそっ!あああああ」

狭い家なのに一人行ったりきたり

昨日夜、こたつで早くから寝てしまった息子。途中でおこしたけど、そのまま布団へ行って朝までピクリとも動かず。
今朝はいつもよりも早めに声をかけたのですが、う^^^^んとかいって寝てたし

「あー宿題もしてないし、俺一体どうしたらいいんか。もォう」

誰にいうでもなく、ちょっと大きな一人事を連発しながら、半泣きであわただしく準備&宿題。

「あードリルがない!!!なんでこんなときにないんか!!」

ちょちょっと宿題やったら今度は食卓へ。あら時間がなくてもご飯はしっかり食べるのね。
テレビニュース見ながら「WBC勝てるかなあ?」っておいおい、かわり身早くね?。

「なあなあお母さん。ここわからんのやけど」
「何?ああ漢字。それはもう習ってるやつだよね。」
「習ってるけどわからんのよ」
「そう~そういうのは自分で調べたらわかるよね。」
「んもう!ケチなんやしぃ、俺もう間に合わないんやし!」
「・・・・・」

やっぱり最後は私に頼るのね。

タイムリミット、時間終了~。不機嫌な顔ででていきました。

最近まれにみる久々の嵐でした。家族に被害はなかったけど、こういうの、もうちょっと、何とかならないかなーと思う朝でした。

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病気になると・・・

インフルエンザ、2月に入って次男のクラスで流行りだしたら・・・あっという間に小学校に広がって・・・・最後にとうとううちにも上陸してしまいました。

三週間にわたり、次男→私→息子と長い隔離生活でした。予防接種は何だったのかな?まあ、みんな比較的軽くすんだし主人にはうつらなかったのでそのおかげと慰めています。その間、パソコンにもむかわずにご無沙汰してしまい、すみません。

少しさかのぼりますが、そのインフルエンザに罹る一週間前の土日に長男だけが風邪をひき、熱をだしました。その日はちょうど法事の日で家族はそれに忙殺され、長男は一人

で寝ていてもらうことに。お昼には一度様子を見に帰りましたが。熱をだすととたんに甘えモードに入る息子。

「お母さん、アクエリアス持ってきて~」
「え~おかゆー?(眉間にしわ)」
「あーあ、土日つぶれて~、もう嫌やし!」
「あー俺だけ法事行かれんくって、こんなとこに一人で待って・・つまらんかったしぃ!」
「薬?この薬のみにくいし~。大きすぎるし、苦いし。後で飲むからおいてて」
(もちろん?後で飲んでない)

そもそもが、息子の体調管理がなってなかったのは明白。疲れているといいながらだらだらと夜遅い日が日常化していました。しかも今年に入ってこの手の高熱は二回目です。

確かに熱をだしているのに一人で留守番は辛かったとは思いますが、法事も無事すんでくたびれて帰ったら、ひどくえらそうにぐだぐだとからまれたので、言っちゃいました。

「病気は仕方ない部分もあるけれど、自分でも予防したり、かかったらできるだけ治す努力は必要だと思うよ。先月も同じように熱をだして、子ども会の行事に出られなくて嫌な思いをしてたよねえ。

○はすぐに気管支炎になりやすいことはわかっているよね。なのにもらった薬もろくに飲まないのはどうかと思う。薬が苦いのは誰だって嫌だけどそんなの仕方ないよ。後、熱が下がってくれば安静にするのも確かに辛いけど、病気のときはみんなそうしてるよ。」

すごすご部屋に戻っておとなしくなりました。

次のインフルエンザのときは、何も言わずに布団に寝ていました。必要な看病はもちろんしたんですけど、熱が下がってから「昨日今日一人で寝ていてちょっと寂しかったんだよ~」とやっぱり甘えん坊な息子でした。

その後の感染予防のための二日間の欠席停止期間も何も言わずに静かにすごしていました。さすがに最後は「やっぱ、学校へ行ってるほうがいい」とは言いましたけどね。

こんなふうに辛い状況になると「あれ?まだこんなこと言うの?」と思うような、受け入れがたい様子をみせることがあります。普段こちらが知らず知らず甘くなっているからかも。ふりかえって反省しないといけないですね。

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