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2009年5月の4件の記事

心に届いた言葉

ちょっと前に戻って先週のお話。

先週の私は体調が悪いのと、その他諸々が重なっていろんな意味で気分がすぐれませんでした。一人になりたい~そう思っていつも過ごすリビングを離れて隣の部屋にいました。

でも子どもはそんなことはあまり関係なく、「あのさーお母さん」とリビングを離れて私のいる部屋に集まってきます。いつものようにまとわりついたり、あれこれと話しかけてきたり。最初はぼんやりと返事をしていましたが、だんだん気持ちの余裕がなくなり、にぎやかに話す子どもの声が頭に響き、あーもうだめだと。

母 「ちょっとうるさいって!もう!お母さん、しんどいからこっちに来てるんよ。頼むから一人にして!」

ト 「・・・・・・ごめんなさい。(小声で)今日のお母さん、ちょっと怖いね。」

オ 「トーマ、お母さん、しんどいんや。あっち行こうぜ」

楽しくしゃべっていた子供達に前触れなくいきなり、きつい調子で言ってしまいました。しまった~と思っても後の祭りです。


後日、体調も戻り、元気になった私。いつものように楽しくご飯を食べていたら・・・

ト 「この前さ、なんかお母さん、ちょっと怖かったよね。お母さんがそうだと俺、楽しくなくなって嫌な気分になるんよな。」

オ 「うん、そうそう。たまーに急に怒り出すことがあるだろ。あれ?っておもうんよな。俺達なんかしたかなーっとか考えたりしてさ。」

母 「そうかーそれは悪かったわ。『俺達』は何もしてなかったよ。お母さんが勝手にイライラしてしまってて。あんな言い方しなくてもよかったね。ごめんね。」

オ 「いやいや、まあそんなときもあるよ。俺もたまにあるし。」

ト 「俺はないかも」

オ 「いやートーマだってむすっとしてキレて怒って部屋のドアバーンって閉めてこもったりしてるやん」

ト 「いやーあれはウザイ奴がいるから・・・・」

オ 「何やとー!お前、もういっぺん言ってみろ、うりゃぁ」

母 「まあまあ、その辺にしといて。お母さんのことから始まった話で喧嘩になったらお母さん辛いわ。」

オ 「そうやった。何の話だっけか・・・・ああ急に怒るのが嫌だってことか。」

ト 「急に怒らんときのお母さんはいいんよ。いっつもあっはっはって笑ってるのがいいんよ。」

オ 「そうやな。なんかみんなで笑ってるほうが楽しいしなー」

母 「そうやね。お母さんもみんなで笑ってるのが好きやわ。お母さん、そうできるよう気をつけるわ。」

ちょっと不覚にも涙でうるんでしまいました。このとき実はまだ気分がどよーんと落ち込んでいたのを、時間が解決するはずと回復を待とうと思っていましたが、子どもの言葉で一気に上昇気流にのりました。

子供達が上手に相手に気持ちを伝えられることも嬉しかったですし、何よりその気持ちが私にストレートに響いて、少々何かあっても自分で建てなおせるよう頑張らないと!と思わせられました。

アイ・メッセージの効果ってすごいんですね。子どもからの言葉は母親の私には何よりも効きました。お互いの信頼関係が深ければ深いほどより効果があるのでしょう。これを子どもに対して上手に使えば、きっといいことがあるに違いないと改めて実感した日でした。

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プレゼント

もうすぐオスカーは12回目の誕生日を迎えます。そんなにつきあってきたのかなと思うと、時の経つのはなんだか早いものです。

日曜、お友達から電話。

オ「なんかさ、T輔達がさ、誕生日プレゼント買ってくれるから一緒に選びに行こうって。今日昼からなんかあるかな?」

母「えーそうなん?うちの予定はないよ。」

オ「()じゃあ、一時半頃で。・・・・・あ、わかりました。お願いします。」

オ「一時半にT輔の母さんが車で迎えに来てくれる事になった。」

母「そうか。よかったね」

オ「うん、フフフーン♬なんかこういのうれしくね?」

母「うんわかるよーうれしいよねー」


夕方・・・

オ「ただいまー。ほら見てこれ。なんかよくない?」

左手に白い手袋。野球のバッティング用の手袋です。

母「格好いいねぇ~。白、いいやん。」

オ「黒にしようかと思ったけど、K太が白がいいっていってくれて。」

ずっと手袋を見てにやにやしてました。早速素振りもしてました。

夜・・・・

オ「♬あなたーに会え~て、ほんとうに、よかぁった、うれしくて~うれしくて~言葉にできな~い、らーららーららーらー、ことぉばに~できな~い♬」

向こうの部屋から鼻歌が~キッチンに顔をだすオスカー。

母「んーぴったりだね、その歌。」

オ「そうなんよーなんか、この嬉しさはほんとに♬ことばに~できな~い♬って感じ。わかる?お母さん」

母「うんうん、わかるよー」


後でお世話になったお友達のお母さんにお礼の電話をしたら、子供達の間でプレゼントの話がでていたのよと教えてくれました。お小遣いをだしあってという話だったみたいです。嬉しいですねー。

オ「この嬉しさはことばにできないから、お返しをしないとな。T輔達って誕生日いつだったかなー何が良いか考えないといけないな」

オスカーは親からもらう(もらって当然?だった)プレゼントとは全く違う、「ハート」というお金では買えないものをもらったのではないかと思います。本当に・・・友達は有難いなとしみじみ感じた一日でした。

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しんどかったみたいだけど

先週までは地区運動会でばたばたしましたが無事終わりました~その後久々に体調不良で吐きまくって寝込んでしまい、情けない限りです。今は地域によっては新型インフルエンザで大変な時期ですが、幸い普通の胃腸の風邪でした。ただこれが熱もないのにかなりヘビーでした~

オスカーも同時にかかってしまっていたようで・・・。

オ「ただいまー。あーなんか俺しんどいんよなーあー」
母「そうなんや。」(母もしんどい)
オ「そうなんって・・・・」(不機嫌そう、ほんとにしんどいのだろうけど)

その日は野球の練習日。学校からしんどそうにして帰ってきて熱を測ってましたが・・・

オ「あー37.0度だった。ないわー。あー」
母「そう」(もう私もなんだかしんどい)
オ「あーでもおれ、しんどいんよなーあーめっちゃしんどいし」(不機嫌そう)
母「・・・・・」

不機嫌そうに、がたがた音をたてながら着替えてましたが、しばらくして練習に行きました。

帰ってきて
オ「あー俺やっぱ熱ないんだけど、なんかめっちゃしんどいんよ。」
母「そうなんや。」
オ「練習も半分は気分悪すぎて見学させてもらったんよ。なんか行って悪化したんかな~?」
母「わあそうやったん、それはしんどかったね」
オ「まあ、熱もなかったからしゃあねえなあって感じだったけど。」
母「そうかあ。自分で(自転車で)帰ってこられたんだね」
オ「うん、まあ。我慢できたし。でももう早めに寝ることにするわ。あ、お風呂は入りたい。もうお湯入ってる?」」
母「入ってるよ」
オ「じゃあ悪いけど先に入ってもう寝るわ。朝は(自分で)起きるつもりだけど、もし起きれてなかったら45分におこしてくれん?」
母「いいよ」

夜更かし大好きのオスカーが早々と寝ましたから、体調悪いんだろうなあと思っていたらやっぱり夜中から吐き始めて~親子で悲惨なことになりました~。その後は二人でまる一日何もせずにただただ寝てました。

次の朝はオスカーは「ちょっとまだどうかなという感じはするけど、休むのはもうごめんだから学校は行くよ」といってでかけました。(体調の面でも食事はとれていたので休ませる必要はないとこちらも判断しました。)

なんだか強くなったかな。最初も熱はなかったけどスポーツは休んでいい(べき?)体調だったのかもしれません。ただ本人から休むという申し出はなかったので、私からも何も言いませんでした。しんどかったらすぐ休むという弱~いところがありましたから、ようやく少々しんどいくらいは頑張ってみるかという考えが身についたのかなと感じました。

さらに帰ってきてからの言動はやけに殊勝な感じだったのでちょっと面食らってしまいました。いろいろ経験してみて自分でしっかり体調管理できるようになるといいと思います。

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子ども御輿

黄金週間、終わりましたね。今日も元気に学校から帰ってきて、すぐに遊びに行っちゃいました。

私達のすんでいる地域では毎年この時期に子ども御輿を出します。数十人の子どもと大人で引いて歩く大変重量感のある伝統あるお御輿なのです。今年は私も役にあたっていたので、家族総出で黄金週間のうち丸二日間を御輿巡行に費やしました。ちょっと曇りのお天気で例年になく涼しかったのが幸いでした。

オスカーは最初こちらに越してきた当初はこのお御輿に参加するのを嫌がってました。低学年は御輿の棒を持ちながらねり歩くだけでつまらないし、面倒くさいしと言って出ようとしませんでした。それが、登校班でその話になったときに「弟と母さん達がでるのにお前だけ出ないっておかしいじゃないか。家の用事がなかったらでないといけないんだとうちの母さんが言ってたぞ」とか何とか友達に言われたとかで、しぶしぶ参加しました。
子ども会の行事なので実際は参加は自由なんですけどね。

四年の時は、友達がでるから俺もでると言ってまあまあ楽しんでいました。足がだるいと愚痴ってましたけど。

五年のときは本来は六年生がするお御輿の上に乗って指揮をとったり、太鼓を叩く役が、人数の関係でオスカー達にもまわってきたということで喜び勇んで参加。ただ、太鼓はせまいところに座って叩くので腰が痛かったとやっぱり愚痴ってましたけどね。

六年の今年は・・・友達みんなと自分達で順番を決めて練習をし、指揮や太鼓、口上といろんな役を堂々とこなして実に楽しそうに過ごしていました。同じ校区の他の地区のみこしともすれ違うとお互いに誇らしげに笛をふき、指揮を取り合い、どの子の顔も晴れやかで見ていて微笑ましいものでした。

かくして、オスカーの四年間の子ども御輿巡行は無事に終わりました。あーだこーだいいつつも終わって見れば何だかあっけないものですね。六年生になるとこうして一つ一つ小学生時代と別れを告げるのだなあと、本人ではなく親の私がいちいち感無量って感じ。

このお御輿をだすのは実はとても大変なことなのです。当日までの準備にも時間や手間がかかります。当日は当日でお父さん達がついて安全に運行することも大変ですし、ねり歩くのにあわせて、お母さん達は御花といって寄付のようなものを集めて廻るのですが、これまた大変なのです。(愚痴っぽいですが。)

私は地元生まれではないので正直ここまでやるのかーと思いますが、子供達の楽しそうな顔をみていると仕方がないかと。オスカーのみこしはおわりましたが、私はきっと来年もトーマのためについて歩いていると思います。後二年、頑張らないとね。

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