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2011年12月の2件の記事

やさしい虐待・・だそうです

夜の七時のNHKのニュースが終わると続いてクローズアップ現代という番組が始まりますが、先日は「やさしい虐待~よい子の破たんの陰で~」と題して不登校の問題を取り上げていました。

「やさしい虐待」というのは私は初めて聞きましたが、長谷川博一氏(東海大教授)が使われている言葉だそうで、「子供の幼いころのわがままや甘えをわかり認めず、幼いころからしつけや教育を押し付けることで、そのことで子供の自己肯定感が育くまれず、対人関係をうまく結べずに不登校などにさせてしまう」という意味だそうです。

前半はお子さんが二人とも不登校になったお母さんのVTR。

成績優秀な息子、礼儀正しい娘になってほしいと、頑張って子育てをされていた。例えば、娘さんが小学生のころ、親子交換日記をして、今日すべき宿題や習い事、家庭学習のことやこうあってほしいという親の思いなどを毎日こまごまと書く。ノートには「だらだらした子は大嫌いです」「きちんとしなければ頭が悪くなるよ」「どうしてきちんとできないのか」などのしつけの言葉、叱咤激励の言葉が並んでいる。

そのうちに娘さんが日記に心のSOSを。「いつも一人。何の手間に生きてきたのか、死んだ方がいいのか・・・」そのときのお母さんの返事は「お母さんこそあなたにいじめられて死にそうだ」と。やがて中学生になった娘さんは友人関係のトラブルから不登校になる。お母さんは「自分も思春期にはいろいろなことを乗り越えてきたのに、逃げてしまう娘が許せない・・」と思う。

後半はこういう問題を克服するにはどうしたらいいかの話へ。

長谷川氏は、やさしい虐待に陥った原因の一つに「親自身へのやさしい虐待の連鎖がある」としていました。前半のお母さんもそうだったように、お母さん自身がいわゆるいい子であることが多いそう。
VTRでは別の親子を例として、やさしい虐待と知らずに育てられた親自身が、自分を見つめなおすことで変わっていき、子供への対応の仕方が変化したり、子供が自ら親の変化を感じたりして、子供の状況が好転していく様子が紹介されていました。

良かれと思って親が一生懸命やっている子育てがやさしい虐待と言われるようなことになってしまう部分は、経験者として身につまされながら見ました。後半の部分は、必ずしも不登校などの問題を抱えるすべての人がやさしい虐待の連鎖で説明できるとは思わなかったけれど、親が自分を見つめなおすことが、親自身が変わり、また子供が変わる一歩であるという点には共感できました。

途中、番組のコメンテーターの重松清氏がこういいます。
「昔はいわゆる教育ママがいたが、今は(教育ママのように)子供をもっと幸せにするぞというよりは、今は親が子供を失敗させないように、失敗させたらだめだと、子供の失敗にすごく敏感になっていて、子供を不幸にしないために親がせっぱつまっている感じがする。今のいい子はうるさい親に反抗・反発するのではなく、親の期待に応えようと頑張って自分を消耗させている。
また、親が無意識に良かれと思って言っている言葉が、子供の胸には深い傷を残していることもあるのではないか。
ただ、ちょうどいいしつけ、ちょうどいい期待ってどこにあるのか?親はちょうどいいつもりで子育てをしているわけで、その結果が不登校になってしまったら悲しいこと・・・・。」

作家だからかなーうまいこと表現する。
「不幸にしないためにせっぱつまる」って私のことだ。オスカーの性格には失敗を恐れるところがあってずっと何とかならないかと気にしてきたけれど、親の自分も自分の失敗に敏感になってたな。とにかく子育てを成功させないといけないと思ってたから。成功とは、テレビの中のお母さんと同じく、優秀で礼儀正しい子に良い子に育てあげること。それに子供のためにいろいろ言ってる言葉が、かえって子供の胸に傷を残すって・・・ほんとにそうだったもんなあ。

前半のお母さんが「(以前は)子供が不登校になったことには自分は関係ないと思っていた。子供の性格や子供の何かがそうさせてると思っていた」と言っていました。子供のために良かれと思って頑張ってるからこそ、子育ての結果がでないことに苦しめられ続ける。その上にそれが自分が育ててそうなったんだとわかったら、自分を責めずにはいられないし、彼女は今、本当に苦しいだろうと思う。私も同じことをしてきたから、あの苦しさの味がわかる。
テレビでこうやって問題として取り上げても、万人に通じる解決法が示されているわけではないから、こういう番組は大抵もやもやさせられたまま終わる。

私もオスカーがたまたま不登校になったから今の自分があるだけで、自分では子供のSOSに気づきもできなかったのだから、えらそうなことは言えない。
それにじゃあ経験者として「ちょうどいいしつけ、ちょうどいい期待」ってなんなのかってことをみんなに向かってうまく答えられそうにもない。私は私が学んだ今の親子の距離を保ちながら、毎日オスカーの顔をみて、これでいいかな、こうかなって考えてやっていくってことだと思う。

誰でもする子育てではあるけれど、わからないなと思ったときを逃さずに、なにがしかの手段で学んだら、自分たち親子の「ちょうどいい」の基準がわかるようになるかもしれないとだけは言えるかな。

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中学の期末テストも無事?終了しました。後は冬休みを待つばかりと、のびのびと遊んでいる様子です。

オスカーは先月から塾に行きだし、一か月あまりがたちました。成績のことはずっと主人に任せていましたが、すでに一学期終わりに夏休み明けのテストで思った成績がでなければ塾に行く方向で考える~といった話になっていたようです。

それが二学期の中間テストが終わっても何の動きもなかったので、どうなってるのかと私から主人に話をもちかけました。9月は体育祭やらなんやらでテストの結果が返ってくるのも間延びしてしまい、オスカーがうやむやにしていた様子。でも主人から成績が悪ければ塾を考えろと言ってしまった以上は、うやむやになったままだと親の立場も下がってよくないんじゃないかと言いました。だからといって私はオスカーの塾通いには賛成ではなく、まだ行かなくていいのではと思ってみたり。

でも主人はやっぱり行った方がいいという考えだったので、もう全面的に任せました。結局、中間テストの成績を前にオスカーと話し合って、本人納得の上で、塾も本人が探してきたところにすることで落ち着きました。でも私は、主人が「行かせてしまった」んじゃないかなと少し心配していました。
ただ私の心配をよそに、オスカー自身は嫌がるそぶりもなく、楽しく通っているようでした。

で、期末テスト当日。

「今日の英語はさあ、結構できた感じだった。文章の( )を埋める問題とか、すらすらっと思い浮かんで。こういう問題は前までは全然わからんかったからさあ。今回はわかる問題が多くて、書かなかったのは二つだけやったから結構できたかもしれん」

「へえーそうなんやーそれはよかったやん」

そのあともどの問題がどうだったか、終わってから間違いとわかって悔しかったとか、嬉々として話していました。前までは、英語の話は特にバツの悪そうな顔をして話をすぐ切り上げてたので、よほど自信がついたのかな。できたら饒舌ーほんとにわかりやすいです。

「前まではH(友達)には点数全部勝ってたけど、中間テストで一教科負けて、これはもう俺も塾へいかなあかんと思ったわけよ。」

「ふーん、そうやったんや。自分で塾行った方がいいと思ってたわけや。」

「そうよ。面倒やなーと思ってたけど、もうこれはあかんやろと」

「そうかー。で、ちゃんとやってきたわけや」

「そうやし。これで俺が塾で集中して真面目にやってることが証明されるわけや。」

「そうかー無駄にしてないんやねーすごいやん」

「そうやろー。でもまだ結果をみるまではわからんけどな」

後日、返された英語の答案は本当に点数があがっていました。苦手で嫌いと公言してはばからなかったので、本人もうれしいようでした。塾を続けるモチベーションもあがったようです。


確かにそうでした。いくらお父さんが行けと言ったからといって、本人の意志がなければ行けるものではないんですよね、塾なんて。私にはその辺がよくわかっていませんでした。

今回のことで、子供であっても、自分で意味があると考えたことはちゃんとやるもんなんだと改めて思いました。なので、親の私は子供の意思を見極めて、子供が意志に沿って行動をおこせるよう、助言したり、支援したりするのが役目なんだとも思いました。

主人は話し合ってオスカーの気持ちがわかっていたのかな。そうだとすればすごいな。
今回はでしゃばらずに主人に任せたことだけが、私のいいところだったように思います。

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