DVDに録ってくれた?
塾から帰ったオスカ―、リビングでついていたテレビをみて、
「あー今日、IPPONグランプリ(お笑い番組)だったんだー。あー視たかったなー。もしかして(DVDに)撮ってくれた?」
「ごめーん、視たいって言ってたの聞いてたけど、今チャンネル変えたところでさあ、私らも忘れてたんよねー」
「そっかー、何時まで?」
「11時までだと思う。」
「あと30分かあ。あー視たかったけどなあ、まあ、しょうがないかあ」
番組は後残り30分ぽっちでしたが、みんなで楽しく視聴しました。
近頃はオスカーのこういうところがすごく変わったなと感じます。
小さいころは録画してなかったら、お母さんのせいだとかなんとかで、ものすごく機嫌が悪くなってしまうので、それを避けるために私が”気をきかせて”録画してあげてました。もちろん、小さい子なら一つ二つの楽しみな番組を親が代わりに録画すること自体はおかしいことではないのですが・・・何分、当時のうちではそれがいき過ぎてたんですね。
今では私のせいにされることはなくなりました。それとともに、こんなふうに残念なことがあって悔しく思っても、気持ちの切り替えがとても早くなり、また周囲にあたることがなくなった気がします。自分の心の中でうまく整理している様子。それは、もうこんなに大きいんだし、ごく当たり前の姿とも言えますが、あのわがままだったオスカーのことを考えると、私にはうれしい成長だなと思えるのです。
このことに関連してもう一つ、
ようやくうちでも「自分のことは自分で」という考えが子供達それぞれに定着してきたので、誰かが忙しくて一緒に視られないときには他の誰かが代わりに番組を録画しておくこともあります。オスカーが「録ってくれた?」と私に聞いたのはそういうことからでした。
復学当初からいつごろまでか~過保護や過干渉を改めるために気をつけてしないようにしてきたことも、今では家族同士の思いやりとして普通に自然にできるようになってきたこと、なんだかいいなと感じます。
自分が抱えた子供の不登校の問題が、何年もかかってこんなふうな家族の在り方にたどり着いたなーなんて、ちょっと感傷的で大げさでしょうかね。
不登校の問題は学校へ行く、行かないだけの問題にとどまらないことは周知のことですが、経験した立場から言うと、そのあとも続く日常生活に入って改めて「家庭でどうやって子供を育てていくか」という大局的なテーマを含んでいることに、あらゆる場面で気づかされるのです。
不登校→再登校→継続登校・・・うちの場合は幸いにも子供が幼いうちにその過程を乗り越えることができました。支援を終えるときに先生から、『これで「終わり」なのではなくて、家族の在り方を考えていくスタートなんですよ』というような意味の言葉をいただきました。
その言葉はそのときどきの自分なりにかみしめてきたつもりでしたが、今また、より自分のこととして実感できるようになったのかもしれません。そして何年か後にはまた違った感覚で、受け止めるのかも。
こんなに奥の深いありがたい言葉だったんだ~。
新年度を迎えて、きっとお忙しいだろう先生に改めて感謝の気持ちを贈ります。
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