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2013年10月の1件の記事

家庭教育って

ぶにん先生のブログで家庭教育に関するアンケートを募集していたので、私なりに答えてみました。

アンケートの中に次の質問がありました。

お子さんが5歳の時にタイムスリップしたとしたら過去のあなたにどのような家庭教育のアドバイスをしますか?

コメント欄にはこの質問に対して、たくさんの方が心のこもった言葉を並べられていました。

そのときに、いつも心の片隅にある思いがふとわいてきて・・・。

もし私が10年前に戻ったとき、この心のこもった言葉の数々を聴いたとして、果たしてこの大切さが心の底から理解できたのだろうか?と。

私自身、質問の回答をしておきながら、その自信はありません。私は不登校になるずっと以前から息子の子育てに悩んでいました。でも矛盾するようですが、一方で当時の私には自慢の息子でもあり、私自身も良い母をしていると思っていたので、自分の子育ての間違いを認め、改善することが受け入れられるような状況ではなかったと思います。
残念ながら、不登校になって初めて状況を打開しなければと必死になったことで、今の息子や私があるように思います。

今も不登校の問題にはいたらずとも、たとえば思春期でお子さんとの関係に悩んでいる、比較的子育てに熱心なお母さん方は私の周りにも珍しくはありません。ですが、その子育てに熱心な方々であっても、それを改善して子供とわかりあいたいと本当に思っているかどうかについては甚だ疑問があります。

ぶつかりあってさんざんだった話をたくさん聞いても、結局最後は「子供が反抗期だからしょうがない」の一言でまとめられてしまってるような気がします。あるいは、親御さんの心の中で「子供によって性格が違う。うちの子は違うんだ」とうちの子には対応不可能とはなから決定されています。
つまりは子の反抗的な態度について「子供(性格ふくめ)に原因があり、自分は親としての役目を果たしているだけで悪くない」という親側の論理と「親とはみな口うるさいものだ」という固定観念があるように感じます。

悩みがある母親同士でそのような結論をもった上で愚痴りあって日々をすごしているというのも現状の一つです。10年前の私はその一員でした。変えたいのか、変えたくないのか・・・。結局は個人的な問題なのでどうしようが個人の自由なのですけれど。

子供のことで悩んではいても、他にも同じような人がいるとか、そういうものなんだと思っている場合には、せっかくのよい意見も心にはひびかないし、仮に取り入れても中途半端に終わり、効果がないというようなことになってしまうように思います。

また特別に家庭教育とは何ぞや?と考える必要もなく、問題なく子育てをされている方も大勢おられますから、こんなに子育てに翻弄され、とらわれてきた自分って一体なんだったのだろうか、どうして私は普通に暮らして普通の親になれなかったのだろうかといまだに思うこともあります。

要するに不登校児の親の経験者として回答をしたものの、それが誰かのお役にたつのかどうかは怪しいものだ(言った本人が昔の自分には届かないかもしれないと思っている)と懐疑的な自分もいるということ。

だからこそ、先生方の地道な活動が、家庭教育を学ぶ機会や教えてくれる人がいることを世の親御さんに知らしめ、それを欲して、学んでみようとする流れのようなものを起こそうとしている、すでに起こっているということなのでしょう。私たちの思いをすいあげて、先生方が公の場で発信してくださることで、耳を傾け、役立ててくれる方々が増えるのかも。

そう考えると、先生方の日々の活動に頭がさがります。

子育ての問題は根が深いと思います。母親になったらほとんどの人はみんな一生懸命、子供のためにと努力しています。努力しているからこそ、その方向違いを認めることは自分の根幹を揺らがせるような大問題になってしまいます。

先生のような力のない私には傾聴するくらいしかないかな。

悩む人の話をひたすら傾聴することでなにがしかの助けになるのか。。。。

とはいえ、傾聴は難しい。根気がいることです。

子育てのことにとどまらず、私自身の親の悩みや愚痴に対しても、どう対処したらいいのか・・・つい何か言いたくなったり、言うことを受け入れてほしいと思う自分がいて、徹しきれない迷いの日々です。

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