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2017年~この4年間であったこと④

高校には進級の壁があります。 再登校してから二週間たったあたりに担任の先生に個人面談をしていただきました

高2になってからの欠席日数はのべ二か月ほど。科目によっては欠課二か月半くらいで取得単位が足りなくなるものも出てきます。また進級するには、出席だけでなく、定期考査の点数や日々の課題など、進級のための評価にかかわるものも必要です。そのあたりを本人に説明して頂いたようです。

各教科の先生がオスカーが欠席した分を考慮してだす課題、定期考査の目標点数7割とか、かなり厳しい進級条件を聞いてどうなるかなと思いましたが、ここは案外とすんなり受け入れたようでした。厳しいながらも「まだなんとかなりそうだ」と思えたのかもしれません。

そのあたりからは登校も落ち着いてきました。

生活は、夜更かししたり、夜中にコンビニに行ってみたり、入浴したりなど、決してきちんとはしていなけれど許容範囲の生活をしていました。近道なんだけど、集合住宅の敷地内の結構高い柵をわざわざ乗り越えて通学するのは、私は嫌だったですけれど。。。。

家ではよく学校や生活上の愚痴を私に話してきました。オスカーにだけではなく、学校では先生方から「志望校や目標を持つように」せっつかれて、「そのためには今頑張らないと間に合わないんだ」といった話をされるそうで、「自分が遠ざけている部分を無理やりこじあけてあれこれ言われるから嫌だ」といった話をしていました。

高校に入ってからすぐのころからずっと「将来何もしたいかなんてわからない」とよく言ってました。なのでここまでなにも考えなかったわけでもないでしょうが、といって私にはどうすることもできないので、ただ話を聞いてやるだけでした。

そして二学期の期末テスト。 とらなければいけないと言われた点数の目安が高くてどうなのかなと思っていましたが、始まる前は「範囲があるからいけそうかも」などど言っていたのですが、案の定・・・テストの中日で朝、動かなくなりました。

父親に「今できることをやれ」などと冷静に話してもらいましたが、一日欠席。

それでひとつ単位が難しくなりました。担任の先生からの話ではもう一日休んでしまうともう一科目落としてしまうとのことで、崖っぷちに追い込まれてしまいました。

欠席した日にもう一度父親から「今、首の皮一枚でつながってること、学校に残りたかったら今日やれることをやるしかないこと。それでも行かないのだったらそれはそれで任せる。その場合は、この先どうするかまた自分で考えてもらうことになる。」といった内容の話をしました。

-クリアすべき目の前の壁が高すぎてとてもできそうにもないから嫌になる-の繰り返しです。どちらにいっても苦しかったり、不安がつきまとったりすることには終わりがないわけですから、本人はさぞ悩んだことでしょう。

親のほうも、学校をやめたらどうなるのかなという不安と、もし辞めても違う道を行くというなら見守っていこうという気持ちが交錯して複雑な心境でいました。

そして翌日・・・朝、学校へ出かけていきました。

何とか首の皮一枚でつながったのでした。

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コメント

その後の流れが知りたくてコメントさせていただきました。
個人的にでも良いので知りたいです…

よろしくお願いします。

投稿: タカハシ | 2022年1月 4日 (火) 14時41分

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